畑に作物が植えられなくなり、草が伸び、ところどころ土がむき出しになっている。そんな土地を見ると、私たちはつい「使われていない空き地」だと考えてしまいます。
けれども、ネパールの山あいにある耕作放棄地は、単なる空き地ではありません。そこには、農家が土地を耕し続けられなくなった理由があります。働き手が村を離れたこと、農業だけでは十分な収入を得にくくなったこと、そして残された家族の負担が増えたこと。耕されなくなった畑には、地域の暮らしの変化が刻まれているのです。
今回は、なぜ農地が放棄されるのか、その土地で何が起きるのか、そして失われつつある土をもう一度生かすことができるのかを、順番に考えていきます。
なぜ、畑を耕し続けられないのか
農家が畑を耕さなくなると聞くと、「農業をやめたから」「土地が必要なくなったから」と考えるかもしれません。しかし実際には、一つの理由だけで土地が放棄されるわけではありません。
ネパールの丘陵地や山岳地帯では、若い世代や働き手が都市部や海外へ移り、農作業を担う人が足りなくなる地域があります。農業だけで家族の生活を支えることが難しければ、より安定した収入を求めて村を離れることは、家族を守るための現実的な選択でもあります。
ところが、家族の一人が村を離れるだけでも、農作業を続けることは難しくなります。特に山あいの農地は傾斜が多く、平地のように機械を入れにくいため、多くの作業を人の手で行わなければなりません。耕す人、種をまく人、草を刈る人、収穫する人が足りなければ、これまでと同じ広さの畑を維持することはできなくなります。
さらに、農産物の価格が安定しないこと、肥料や種子に費用がかかること、野生動物による被害、水源の減少なども農家を悩ませます。手間と費用をかけて作物を育てても、十分な収入にならないことが続けば、耕作を続けること自体が大きな負担になります。
つまり、耕作放棄地は、農家が土地を簡単に手放した結果ではありません。人手、収入、自然条件など、いくつもの問題が重なった末に生まれるのです。
畑を使わなくなれば、土は休めるのか
では、人が畑を耕さなくなったら、土地は静かに休み、自然に回復していくのでしょうか。
必ずしもそうとは限りません。特に傾斜地では、作物や木が少なくなり、土の表面がむき出しになると、雨が直接地面に当たります。雨季に強い雨が降れば、表面の土は少しずつ斜面の下へ流されていきます。
流されるのは、ただの泥ではありません。地面のいちばん上にある表土には、作物に必要な養分や有機物が多く含まれています。植物の根や微生物も集まっている、農業にとって特に大切な部分です。
その表土が失われると、土は水を保ちにくくなります。乾いた時期には水分が足りず、雨が多い時期には水が土にしみ込まず、一気に斜面を流れるようになります。そして、いざもう一度作物を植えようとしても、以前のようには育ちにくくなります。
何もしないで置いておけば、いつでも元の畑に戻せるわけではありません。放置する時間が長くなるほど、大切な表土が失われ、農地として再び使うことが難しくなる場合があります。
つまり、耕作放棄地は、時間が止まった土地ではありません。人が使わなくなった後も、土の流出や乾燥が進み、土地の力が少しずつ失われていくことがあるのです。
土が失われると、家族の選択肢も減っていく
土の力が弱まることは、環境だけの問題ではありません。作物が育ちにくくなれば収穫が減り、販売できる量も少なくなります。それによって農家の収入が減れば、家計にも影響が及びます。
家計に余裕がなくなれば、食費や医療費だけでなく、子どもの学用品、通学、進学に必要な費用を確保することも難しくなります。家族の働き手が足りなければ、子どもが農作業や家事を手伝う時間も増えるかもしれません。土地の変化が、子どもが学び続けられるかどうかにもつながっていくのです。
また、農地から十分な収入を得られなければ、若い世代が村に残る理由はさらに少なくなります。村を離れる人が増えると、畑を守る人はますます減り、さらに多くの土地が使われなくなる可能性があります。土地が荒れることで人が離れ、人が離れることで土地がさらに荒れるという循環が生まれます。
つまり、失われるのは土だけではありません。農地が生産力を失うと、家族が地域で暮らし続けるための選択肢も少しずつ失われていくのです。
耕作放棄地を「再生の出発点」として見る
しかし、耕作放棄地は、すべての可能性が失われた土地ではありません。土が残り、地域の人がもう一度その土地に関わることができれば、再生の出発点にすることもできます。
HFIは、耕作放棄地を単に問題の跡として見るのではなく、もう一度土を育て、収穫と収入を生み出せる場所として見直そうとしています。そのために取り組もうとしているのが、木と農作物を同じ土地で育てるアグロフォレストリーです。
木を植えると、その根が斜面の土を支えます。落ち葉や枯れた根が土に戻れば、有機物が少しずつ増えていきます。その周りでウコンやコーヒーなどの作物を育てれば、土を守りながら収穫を得られる可能性があります。
ここで目指しているのは、土地を以前とまったく同じ畑に戻すことではありません。これからの気候や農家の暮らしに合った、新しい使い方をつくることです。
つまり、土地を再生するとは、昔の農業に戻ることではありません。木と作物を組み合わせ、土を守りながら収入も生み出せる土地へと、つくり直すことなのです。
一つの作物に頼らない畑をつくる
アグロフォレストリーでは、木と作物がそれぞれ異なる役割を持ちます。深く根を張る木は斜面の土を支え、落ち葉を土に返します。木陰を利用して育つ作物もあれば、比較的早い時期に収穫できる作物もあります。
複数の作物を育てることには、収入面での意味もあります。一つの作物だけに頼っていると、その作物が不作になったり、市場価格が下がったりしたときに、農家の収入全体が大きな影響を受けます。収穫時期や売り先の異なる作物を組み合わせれば、一つがうまくいかないときに、別の作物が家計を支える可能性があります。
土地にとっても、農家の暮らしにとっても、一つだけに頼らないことが強さにつながります。耕作放棄地を再び使うということは、単に何かを植えることではありません。土地の状態、農家が使える労力、作物の育ち方、販売の見通しを一緒に考えながら、続けられる仕組みをつくることです。
最初から大きく始めない
とはいえ、長く使われていなかった土地に木や作物を植えれば、すぐに十分な収穫が得られるとは限りません。表土が流れ、土がやせていれば、回復には時間がかかります。どの作物がその土地に合うのかも、実際に育ててみなければ分かりません。
農家にとって、新しい方法を試すことには不安があります。苗や種を準備し、時間と労力をかけても、収穫や収入につながらなければ、生活に影響するからです。そこで大切になるのが、最初から広い土地で始めるのではなく、小さな区画で試すことです。
小さな区画であれば、失敗したときの負担を抑えながら、土の状態や作物の育ち方を確かめられます。収穫量だけでなく、どのくらいの水や作業が必要なのか、病害虫が発生しないか、収穫後に販売できるかといった点も確認できます。
そして何より、外から来た人が「この方法が正しい」と決めるのではなく、農家自身が試し、結果を見て、続けるかどうかを判断することが重要です。農家が納得できなければ、どれほど立派な計画でも地域には根づきません。
つまり、小さく始めるのは消極的だからではありません。農家が自分の土地で可能性を確かめ、納得して次の一歩を選ぶためなのです。
荒れた土地が語っていること
耕作放棄地を見るとき、目に入るのは伸びた草や崩れた畝かもしれません。しかし、その土地には、かつて誰かが種をまき、作物を育て、収穫によって家族を支えてきた時間があります。
そして、農地が使われなくなった背景には、出稼ぎ、労働力不足、農産物価格、家族構成の変化など、地域社会が抱えるさまざまな問題があります。荒れた土地を見ることは、土の状態を見るだけではなく、その地域で人々の暮らしがどう変わってきたのかを知ることでもあります。
一方で、そこにはこれからの可能性も残されています。土を守る木を植え、収入につながる作物を育て、農家が無理なく続けられる方法を見つけることができれば、放置されていた土地はもう一度、家族の暮らしを支える場所になるかもしれません。
耕作放棄地は、何もない場所ではありません。失われたものと、まだ残されている可能性の両方がある場所です。
土が語っているのは、衰退の物語だけではありません。その土地をどう見直し、どう生かし直すかによって、地域の未来を変えられるという物語でもあるのです。
次回は、再生する農地に、なぜ一種類だけではなく、モリンガ、ウコン、コーヒーなど複数の作物を組み合わせるのかを考えます。木と作物がそれぞれどのような役割を果たし、多様な組み合わせがなぜ自然と農家の暮らしの両方を強くするのか。第3回「モリンガ、ウコン、コーヒーを一緒に植える理由――単作ではない強さ」をご期待ください。©Dr. Makoto
