聖書に出てくる、聖霊ということばがある。父なる神、子なる神、聖霊なる神という三位一体の神の第三位格を指すことばであるが、別に、慰め主、助け主などとも呼ばれる。ある英語の訳では、ザ・コンフォーター(the comforter)となっている。
この英語、コン(com)という接頭語は、「共に」という意味、共同社会は、コミュニティというが、そういうイメージのあることばである。フォートは「戦う」という意味。そういえば、フォートアラモ(アラモの要塞)ということばもあった。
だから、一般には、慰め主、助け主と訳されているが、どうも訳としては弱いような気もする。本来、コンフォーターが意味するのは、共に戦ってくださるお方ということだろう。聖霊は、この世の社会に揉まれて傷ついた人々が教会にやってくると「ああ、かわいそうに」と頭をなでてくれる、そういうお方ではなくて、もっと積極的に共に戦ってくださるお方である、というわけだ。
そういう意味では、共に戦うという視点には学ばせられるように思う。私たちが人の力になるというのは色々で、ある時は、人の話を聞いたり、慰めたり力づけたりする、ということもある。しかしまた、何もできないけれども、ただ共にある、ということで助けになることもあるだろう。さらには、積極的に何かを共にして、苦難を一緒に戦っていくということもある。
いずれにしても、人間というのは、自分がかわいくて、自分が損になるようなことはしたくはないし、共に戦うという心構えにはならないことがある。けれども、共に苦難を分かち合いながら何かを乗り越えたという共有経験は大きい。単に人を助けたという以上に、共に何かを乗り越えていく、そんな経験で、私たちの人生を飾ってみるというのはどうだろうか。
(HFI代表 福井 誠)
新約聖書に出てくる使徒パウロという人物がこのように語っています。
「私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています」
「愛の労苦」ということば、これはギリシャ語では、「コポス」ということばです。愛から湧き出る労苦(コポス)というものがあって、そのことへの感謝を述べているわけです。
実はこのことば、興味深いことに、聖書の別の個所では、「面倒」と訳されています。同じ新約聖書のルカの福音書の中に、イエスの語られたたとえ話に出てくることばです。こんなお話です。ある人の家に、真夜中に友達が訪ねてきました。ところが、もてなすパンがなかったので、隣の家の人にパンを分けてもらいに行きます。そうすると、その家の人は「もう戸締りもしてしまったし、家族も皆布団に入っている、面倒をかけないでくれ」と語った、「面倒」ということばが「コポス」なのです。
つまり愛から湧き出る労苦というのは、「しないで済むならばできるだけやりたくないこと、自分にとって面倒なこと」なのではないでしょうか。 確かに、犠牲もなしに、面倒でもなくなされることは、愛から出た働きではないのかもしれません。
何でも喜んで、進んでやれるというのは、素晴らしいことですし、期待されることです。しかし、しばしば、愛の労苦というのは、地味なもので、「面倒」と思う気持ちに打ち勝っていく、人間的に成長する中でなされるところがあるのでしょう。人助けというのは、実は上下ではない、むしろ、助ける人も成熟の恵みを感じさせられる働きなのだと思います。
(HFI代表 福井 誠)
・・・きずな 2010. 4 (Vol.10. No. 1) ・・・
この夏、地元の多摩川で水浴びする子どもたちを見た。こんな川で大丈夫だろうか、と思うところもあったのだが、見れば随分と綺麗な川ではないか。
最近は、アユが戻り、サケの逆上も確認されているというが、その昔、多摩川の水質汚染は、非常に深刻であった。もともと子どもの楽しい遊泳の場とされた多摩川は、高度経済成長と共に、激しく汚染され、下流に真っ黒な濁流をつくる状態であったという。当然、東京湾の干潟でも異臭が漂い、潮干狩りをする人の姿も消え、やがて誰も再生の希望を抱く者もなかったのであろう、河口は次々と埋め立てられてしまうのである。こうして農薬や工業排水の垂れ流しによって、魚類が大量死するようになり、1970年、骨の成長期に軟骨に異常が出ると言われる「カシンペック病」の騒ぎまで起こり、遊泳は禁止され、まさに「死の川」とみなされるようになった。そんな時代の先入観があるのだろう。
しかし、あれから多摩川では、工場の移転と、大規模な治水工事や下水道が整備されたことによって、完全に水質を回復させたとは言えないまでにしても、以前とは比較にならないほどに綺麗になり、夏の暑い日には、少し足を入れてみたいという気にさせてくれる川になったのである。
戦後復興の流れの中にあって、大人たちは、工業や経済の発展のために川を犠牲にしなくてはならなかった。しかしそれは、子どもたちが魚を獲ったり、泳いだりする水遊びの場が、長く取り戻しえなかったことにおいても、大きな損失であったことに間違いない。そう考えてみると、今や、フィリピンのセブ島もまた、同じような環境破壊に直面していることを、意識せねばならないように思う。
セブと言えば、リゾート地、南国の白砂とブルーのビーチを思い浮かべるところであるが、そのような砂浜は人工的に作られ調整されたもので、そこから地続きで、それほど遠くもない海岸は、工場用水や生活用水で汚れきって、異臭を放っている。かつて日本が経済発展のために、自然を痛めつけ、犠牲にしたのと同じような状況がある。スラムの子どもたちは、そのような水際で遊ぶのであるから不衛生な環境のもと、病気になりやすく、命すら落とすことがあると聞く。
こうしてフィリピンの貧困の問題への取り組みは、もう少し複合的に、環境問題をも合わせて考えていく必要が生じていると私は思う。それは、水域環境の改善、クリーンなごみの処理のみならず、排気ガスによる大気汚染への対策と、実に幅広い内容がある。しかし、これらに取り組まぬ限り、多摩川の近隣に住む子どもたちがそうであったように、フィリピンの子どもたちにとっても、損失多き時が過ぎ去ってしまうことだろう。
そしてこれは、私たち日本人の責任として考えなければならない問題でもあるのではないだろうか。もはや、日本の企業が安い人件費を求めて、アジアの国々に工場を移転させることは当たり前のように考えられているが、あちらこちらと汚染をばらまき、これ以上、環境の犠牲をたらいまわしにできる場も残されてはいないだろう。そもそも、どこかにシワ寄せしてまでも営利を目指すような感覚ではいけないのではないだろうか。恩恵にあずかることばかりではなく、それによって生じる不利益をも考え、さらにそれは、グローバルな視野で意識されていかなくてはならないことである。
人と環境の双方をトータルに見ながらのNPO支援を考えていく必要があるだろう。
(HFI代表 福井 誠)
・・・きずな 2009. 12 (Vol.9. No. 3) ・・・
ベトナム戦争当時、ミャオ族(モン族)の一部が、インドシナの共産化を防ぐアメリカ政府に協力し、ラオス愛国戦線と戦った。アメリカの撤退後、ラオスの共産化によって、ミャオ族は難民と化し、4万人以上が、カリフォルニア州、ミネソタ州などに、難民として受け入れられることになった。現在約21万人がアメリカに在住しているという。 その後のミャオ族について、調査ドキュメンタリーを見る機会があり、しばし考えさせられるところがあった。
アメリカ移住によって彼らが提供された家は、それまで見たことも使ったこともない、ガスレンジ、シャワーといった近代設備の住宅である。またスーパーに買い物に行くが、並べられた肉は、一様にパッケージに詰め込まれ、何の肉かもわからずに買って食事をする。人種の坩堝とは言うが、まったく言葉が通ぜず、政府から基礎言語教育を提供されてもなかなか身につかない。だから、新天地での就職活動もなかなかうまくは進まない。結果として、不安定な生活基盤の中で子育てを余儀なくされ、難民として新境地は切り開いたが、希望はなく、困窮を深めるというような内容であった。
日本の難民受け入れの状況は、90年代からミャンマーなどアジア地域を中心に受け入れるようになったようであるが、その数は欧米諸国に比し、数十人とわずかである。実際に難民申請する人の数は、1500人以上もいるのであるが、難民と認定され受け入れられる人の数はわずかである。認定されなかった難民が強制送還され、本国で死刑となる悲しい結末もあったそうだが、問題は、アメリカの例に見られるように、難民と認定された人もまた、果たして、日本の社会に適応してきちんとした暮らしをしているかどうか、ということだ。
生活に困っている人々に何かをしてあげたいと思う気持ちは、わからないわけではない。そのような善意がやはり基本にあって、助け合いが始められると思うのであるが、物質的に援助するだけでは、援助が援助とならずに終わってしまう現実もある。つまり、物的に物事を保証されても、実際上の様々な困難を乗り越えていく個人の目的意識が引き出されることと、そのような個人の志をサポートする心理的な支援も必要なのである。
ただ生きることができる、というのではなくて、目的を持って生きることができる、そのようなケアーが、どのような援助活動にも求められているのではないか。
最近、NPOの援助活動広告には、「○○円でこれだけの支援ができる」、という触れ込みが多くなった。確かに、○○円あれば、それだけのことはできるだろうと思う。しかし、こうした活動を通じて思うことは、子どもが生きていければいいというわけではない、やはり、その子どもが目標を持って、自ら援助を生かすことができる、そんなことが嬉しいと思う。子育てでも感じるのはそういうことだろう。我が子が、貧しいながらも、一つ目的をもって、人生にチャレンジしている姿は、親にも勇気を与えてくれる。経済的に何とか必要を満たすだけではなく、子どもにチャレンジを導く働きを、HFIは創り出していきたいと思うのである。
(HFI代表 福井 誠)
・・・きずな 2009. 9 (Vol.9. No. 2) ・・・
以前アフリカで援助活動をしていた人が、キリスト教に興味を持ったいきさつを話してくれたことがある。毎日お決まりの生活パターンを繰り返し、仕事が終わると、特に都会のように遊ぶ場があるわけでもなく、もてあました時間を、絵を描いて過ごしたという。大自然を眺め、様々な風景画を書きため、たばこをくゆらす、そんな毎日を送っていた。
ところが、ある日、そこに宣教師がやって来たという。これからさらに先に進むようだが、自分のような職員だったらわざわざそんなところまで苦労して出かけない、と思うような辺鄙な奥地に入っていき、現地の人たちと同じような生活をし、布教活動をしている。布教とは言え、効率の悪いことをしていると思ったという。しかも、自分の身を削って、キリスト教に対して敵対的ですらある集落に出向いていく。全くこの世の損得勘定の頭で見ていたら、全く奇妙な行動を続ける宣教師に、興味を抱いたと言う。
今やNPO活動は、どの宗教にも所属せず、キリスト教も、仏教も、イスラム教もあらゆる宗教的背景に対応できる団体であることは言うまでもない。しかし、その活動理念に、どのような姿勢があるかは、一つの宗教に学ぶということはあるだろう。
HFIの前身であるHFDJが設立された当初、大事にされた精神は、NPOが扱う活動の難しさと困難さを覚えながらも、それをやり遂げる気概を持つことであったと思う。Hope(望み)もFaith(信頼)も、キリスト教の概念であるが、やり遂げるチームを支えることばになろうと思うところがあったのだ。
確かに、NPO活動が取り組む働きは、そんなに簡単に結果は見えないことがあるかもしれない。人が目を向けないところに敢えて目を向け、無関心に対する啓発を試みていく。さらに、援助事業を成り立たせて行くためには、数知れない苦労や犠牲があるし、全くもって、無駄であり非効率であると思われるようなことも多々ある。時間ばかりかかって、何一つ積み重なっていないように思わされることもあるかもしれない。
しかし、実際には、損得を超えて動く、そのような苦労があればこそ、いのちが助けられる。希望を抱く人生が見つけられるということがあるのではないか。一人の感謝と喜びに触れれば、損得も苦労も忘れ去る。
(HFI代表 福井 誠)
・・・きずな 2009.6 (Vol.9. No.1) ・・・
2月に、インドのハイデラバードを訪れた。インドは人口の78%がヒンズー教と言われるが、実際にはイスラム人口も多い。早朝から拡声器が鳴り響き、肉料理はチキンかマトンのいずれかであると言えば、なるほど、ヒンズー教のみならず、イスラムが日常生活にまで強い影響を及ぼしている国であることがわかる。キリスト教はわずか2%、少数派である。
いくつかのキリスト教会を訪問する機会を通してキリスト教会にも、インド独特のカーストの影響が根深くあることに興味深く思った。インドには大きく四つのカーストがあるが、カーストにすら入らない、ダリットと呼ばれる階層がある。問題は、キリスト教会すらそのカーストの違いを乗り越えることができずにいることだ。それぞれのカーストに所属する人たちごとに、教会が形成されている。上位のカースト出身の牧師と信徒からなる教会と、下位のカースト出身の牧師と信徒からなる教会に分かれてしまう現実がある。
キリスト教ほど、平等博愛の精神を説いている宗教はないというのに、カーストの違いが乗り越えられていない。聖書信仰と矛盾するカースト制度を温存しながら、キリスト教信仰が成り立ち、教会活動が進められていく。インド人の差別的文化を乗り越えられないこのインドのキリスト教というのは、一体何なのだろう、と考えるところがあった。
しかし、そもそも、インド人の考え方の中に、シンクレティズム(混交主義)的要素があって、インド人の多数が信じているヒンズー教も、様々な宗教の組み合わせによって成り立っていることを考えれば理解されるような気もする。つまり、キリスト教もインド的に変質している部分があるのではないか。けれども、こうしたすべてを伝統の中に取り込んでいくインド人の思考性、精神性は、日本においても見られるものである。実際、日本人の仏教も、インド仏教とははるかに異なっているし、キリスト教も、本来の聖書信仰とは、必ずしも、同一とは言えない、文化性を反映している部分がある。
宗教においてそうであるとすれば、まして、貧困などの社会変革に対する取り組みについても、まずは、この文化固有の思考性、精神性を避けて通ることは出来ないことだろうと思う。ただ、お金を出せばよいだけではない、ただ井戸を掘ればよい、ただ識字教育を進めればよい、というわけではない、文化に深く根ざす問題に向かわなければならない課題があるように思う。 貧しい国をただ豊かにするというのではなく、その根底にある精神性に触れて、真に自立した豊かさ、成熟した豊かさに向かわせていく働きが求められているのではあるまいか。
(HFI代表 福井 誠)
・・・きずな 2009.3 (Vol.8. No.4) ・・・
NPO法人の申請を機に、HFDJもHFIとして、新しい歩みを進めていくことになる。しかし、全くゼロからの歩みではない。すでに幾ばくでも蓄積したものがある。その上に積み重ねていけばいいのだろう。
そんなことを考えながら、ある教会の建設に関わった時のことを思い出した。もうすでに20年程の歩みを重ねきた教会ではあったが、信徒数は一桁となり、会堂もない状態であった。これをどのように建て直していくのかと思わされもしたが、すでに土地があった。そこには、かつてはプレハブの会堂が建っていたのだが、もはや役立ちそうもなく、取り壊され更地になっていた。信徒たちが力を合わせて、モダンな新会堂を建て上げ、新しい歩みをスタートさせたのである。
もう一つの教会を建てあげた経験を振り返りながら、同じ規模の事業でありながら、そこに差を感じる思いがした。ゼロから建てあげる事業と、何かの土台の上に建て上げるそれの差であった。すでに、歴史があり、積み重ねがあるということは、たとえそれが小さなものに思えても、ゼロからやることとは大違いである、深く教えられた。子どもの目線は低く、遠くを見通せないとしても、父親の肩に乗っかれば、子どもの目線は高くなり、遠くを見渡せるのと同じである。
またいつであったか、幼稚園経営を止めて、福祉施設を設立した、ある教会を訪れたことがあった。かつてブランコやのぼり棒など、幼稚園の施設があった土地は、綺麗に整地され、これからそこに、福祉作業所が建つのだという。その歴史をずっと背負ってきた職員がぽつりと語った。「のぼり棒のポール一つ買うお金を作り出すのに、大変な思いをした時代があった。でも、壊すのはあっという間ですね。」新しい事業を展開する今を作り出した、人知れぬ大変な苦労があった、そんなことを考えさせられた。
いくつかの苦労の上に、新しい働きが重ねられていく。それはゼロからとは違う、更なる可能性を秘めている。もはや経験されることの無い苦労の上に、別の苦労が積み重ねられるということなのだろう。先の働きを感謝しつつ、さらに物事を先に推し進めていく、そんな苦労を重ねたいものである。
(HFI代表 福井 誠)
・・・きずな2008.12 (Vol.8. No.3)